皆さんこんにちは(^^)
超こじらせメンタルのチョーコです。
今回は不登校について書いていきます。
チョーコが不登校になったのは中学2年の3学期からです。
そこから21歳まで引きこもりのような生活をしていました。
なぜ不登校になったのか?
原因はおそらく複数あって、何年間かの積み重ねで最終的に学校に行けなくなったという感じです。
自分なりの分析ですが、何かを皆さんに伝えることができたら嬉しいです( ´艸`)
目次
【不登校】「学校は絶対休んではいけないもの」と信じてた
冒頭にも書きましたがチョーコが学校に行けなくなったのは中学2年生の3学期です。
もっと細かく言うと3学期が始まって2日目です。
それまでのチョーコは学校は「絶対に行かなくてはいけないもの」と信じていました。
小学生の頃から学校が楽しいというタイプではなくて、どちらかというと行きたくない気持ちが強かったです。
でも学校というものは「行かなくてはいけないもの」、「ズル休みなんてしては行けない」と信じていました。
なので中1の時に生まれて初めて無視された時も、学校にはむちゃくちゃ行きたくなかったけど、休むという発想はありませんでした。
それなのに3学期2日目の朝、どうしても制服に着替えることができませんでした。
自分にとってはとても大きなことでした。
【不登校】ある日突然、制服に着替えられない
未だにその時のことを覚えています。
その時に来ていたパジャマ、部屋の風景・・・。
「休みたいなぁ、、、」とか「行かないといけないけど行くの嫌だなぁ」という感じではなく、
行けない。
というか、ほんとに
「制服に着替えられない」
でした。
制服に着替えられず、ただただ家のリビングで泣いていました。
実は前日、学校に行きたくなくなるきっかけがありました。
始業式の日、3学期の各当番を決めることになりました。
はっきりとは覚えていませんが、みんな仲のいい友達同士で同じ当番になっていたような気がします。
チョーコにも同じクラスに普段一緒に過ごすような子がいたのですが、その子が別の子と組んだんです。
そのことがとてもショックでした。
はっきり仲間はずれにされたとか無視されるようになったとか、そういうのはなかったんですがなんだかとても激しく傷つきました。
そんなことで学校行けなくなったの?
と思いますか?
これはあくまでも「きっかけ」なんです。
さっきも書きましたが、学校に行けなくなるまでになったのは何年間もの積み重ねからでした。
中学に入ると同時にチョーコは引っ越しをしました。
小学校卒業まで住んでいた地域の近くだったんですが、中学校は全く知っている子がいない学校へ入学しました。
まだ学校創立から3年目の新設校だったので、クラスも一学年2クラスしかなくて全員知ってるような感じでした。
メンタルが崩れ始めたのは中学生になってからではないんです。
さらに遡ります。
【不登校】恐怖心に耐え続けた1年間
チョーコのメンタルが目に見えておかしくなったのは小学校5年生の2学期からです。
話が飛びまくって申し訳ないのですが、小学校4年の時から話させてください。
4年生の時の担任は40代くらいの女の先生でとてもヒステリックな人でした。
毎朝忘れものや宿題のチェックをして、忘れ物があったり宿題をやってないと教室の後ろに忘れた子全員を立たせました。
男子はよく蹴られていました。
しょっちゅう怒っていて、チョークや教科書が飛んでくることも当たり前。
授業で当てられてすぐに答えられないと
プレッシャーをかけられます。
とても答えを考えていられる状態じゃなくなって、焦って答えて正解だった時の安堵感を今でも覚えています。
そういえば、チョーコも一度顔を思いっきりビンタされたことがありました。
なかなかすごい力でしたよ(;・∀・)
上と下がわからなくなって、一瞬「あたし、窓から落ちた?」って思いました。
これ、マジなんです(´∀`; )
とにかく毎日が強いストレスで、常にビクビクと委縮した状態でこの1年は過ごしていました。
チョーコ以外にも泣きながら学校に来る子や給食を吐いてしまう子もいたり、不登校になる子もいましたね。
そうそう、不登校になる子がいたと言えばその子が休んでる時にクラスのみんなに向かって担任が、
「○○ちゃんはお前らと違って心がキレイなんだよ!」
と言われたことがあります。
それを言われた時、愕然としました。
頑張って学校来てるのに、休んでる子の方がえらいんだ・・・
なんのために恐怖に耐えて学校に来てるんだろう
と、悲しくなったのを未だに覚えています。
昔はそういう先生、結構当たり前にいましたよねー(˘・з・˘)
そんな感じで1年間、毎日おびえながら学校生活を送っていたんですが、学校が終わって家に帰ると毎日のように近所の同い年の女の子と遊んでいました。
自分にとっては親友のような存在でした。
学校が終わればその子との時間があったから学校生活も耐えていられたと思います。
もちろん遊んでいて楽しかったのもありますが、先生の愚痴を言えていたのも良かったのかもしれません。
「こんなこと言われたー(怒)」
「こんなことされたー(泣)」
話を聞いてもらって、一緒に「ひどいなー」って言ってもらったことで、耐えれてたんだと思います。
ほんと吐き出すって大事ですよね(´ε` )
でもその子が5年生の夏休みに転校してしまいました。
おかしくなったのはそこからです。
急に人から嫌われるのがものすごく怖くなりました。
なんだか不安定な台の上に片足で立ってるような感じ。
友達と遊んでいても自分の意見を言えなくなってしまったんです。
「何して遊ぶー?」
と聞かれても
「なんでもいい。」
としか答えられませんでした。
自分の意見を言ったら嫌われるんじゃないかと怖かったんです。
それまでは人見知りではありましたが,嫌われたらどうしようとかは思ったりしなかったですし、どこかでたとえ嫌われても「〇〇ちゃんがいる」って思っていたのかもしれません。
無意識で心の拠り所になっていたのかもしれませんね。
でもその子が引っ越してからはしょっちゅう周りの子に謝ったり、「嫌いじゃない?」「怒ってない?」と確認するようになりました。
小学生の時は、こんな風になる前のチョーコのことを知ってくれている子も多かったので、めんどくさい行動をとっていも「大丈夫だよー。」と言ってくれていましたが、中学になるとそうはいきません。
「めんどくさい奴」
「暗い」
といった印象を持たれていたと思います。
小学校5年生以降かなり精神的に不安定になり、そのまま友達のひとりもいない学校への引っ越し。
また思春期という年齢や受験などもあり、4、5年かけて徐々に心が病んでいきました。
そして不登校になる半年前の中2の夏に強迫性障害の不潔恐怖が始まります。
母親いわくこの頃から「もしかしたら、、、」と思ったと後に言われました。
不登校の前兆のような。
後半へつづく・・・
【不登校】前半のまとめ
なんだか振り返って書いていたら、結構長くなったので今回も2つに分けて書こうと思います。
後半もよかったら読んでくださいね♪
今回も読んで頂き、本当にありがとうございます( ^∀^)