こじらせチョーコのメンタル色々ブログ

在宅で仕事をしたくて勉強のためにブログを始めました!

不登校から引きこもり、そしてなぜ克服できたのか?

皆さんこんにちは(^ ^)

超こじらせメンタルのチョーコです。

今回は前回の「不登校」のつづきを書いていきます。

前回は段々と不登校になるまでの自分の中の不安や恐怖の蓄積で、心が蝕まれていくんだなということを書きました。

今回は前回書ききれなかったことと、不登校真っ只中から21歳で久しぶりに社会生活を送れるようになるまでを書いていこうと思います!

不登校】親はどんな対応だった?

学校に行けない本人はもちろん、家族もかなり不安や辛さを感じていると思います。

特に多くの場合、お母さんは辛いと思います。

(お父さんや兄弟もとても辛い気持ちを持たれてるかもしれません!すみません!)

チョーコの中学生くらいの頃は今ほど共働きが当たり前の世の中ではなかったように思います。

そんなことないですかね?

チョーコの母親はこの頃は専業主婦で、基本的には家にいました。

なので、チョーコが学校に行かなくなってからは精神的に不安定な状態の娘と毎日家にいる状況です。

母親にとっても、かなりのストレスだったと思います。

そんな中でも母親は不登校のことを知ろうと本を読んだり、講演を聞きに行ったりと積極的に勉強してくれました。

そして無理やり学校に行かせようとしたことはありませんでした。

両親に学校に行かないことを責められたり、強制されなかったことはとても感謝しています。

でもチョーコが30代くらいになった時に、母親が「今思うとあの頃、チョーコともっとぶつかり合った方がよかったのかもしれないと思う」と言われたことがありました。

どちらがよかったのかはチョーコもわかりません。

あの頃のチョーコがぶつかり合うことに耐えられたのかもわかりませんし、傷ついてもっとひどい状態になっていたかもしれません。

でも、もしかしたらちゃんとお互いの気持ちを正面から伝え合って、母親の気持ちも知っていたら今の年齢までこじらせずに済んだのかもしれません。

これはなんとも言えないです。

不登校】行かなきゃ行けない、でも行けない

中2の3学期から始まった不登校ですが,いきなりパッタリと学校に行かなくなったわけではありませんでした。

たぶんですが始業式の次の日行けなかったけど、その次の日にはなんとか行ったような気がします。

皆さんもあるあるだと思うのですが、特に休み明けの月曜日って気が重くなりますよね?

チョーコも同じで、はじめの頃は月曜日は休んでしまうけど火曜日からは頑張って登校してました。

基本,学校には時間割があるので毎週同じ曜日に休むと一定の授業が偏って遅れます。

そうなるとどうしても余計に行きづらくなってしまいましたね。

気づいたら週1日休んでいたのが、徐々に週1日だけの登校になっていきました。

毎日、

 

行かなきゃいけない、でも行けない!

 

の繰り返しでした。

行けない度に挫折を繰り返します。

「自分はダメだ」

「逃げてるんじゃないか?怠けてるんじゃなかいか?」

と自分を責め続けます。

そして朝が来るのが怖くて朝方まで起きてました。

寝てしまうとあっという間に朝になってしまう気がして、怖かったんです。

そうすると結局朝方に寝るということになるので、もちろん学校行く時間になんて起きられません。

悪循環ですね。

中3の1年間はほぼ行っていませんでした。

卒業の時の通知表見たら、1年間の出席日数が30日でした。

逆に、

「30日も行ってたんや」

と自分では驚きました(笑)

そして行かないといけないと信じていたものに行けなくなったことで、

「どうして学校に行かなきゃ行けないんだろう」

「どうして生きるんだろう」

など今まで考えたこともないようなことを考えるようになりました。

不登校】高校受験のために頑張ってたのに、、、

結局中3の1年間はほとんど休んでいたので、公立の高校は受験すらさせてもらえませんでした。

私立でも、なんとか受験することを認めてもらえたのはたったの2校だけ。

中2の夏休み頃から本格的に受験勉強を始め、塾推奨の「1日10時間勉強」というのも頑張ってやりました!

そのおかげもあって、成績も面白いように良くなって志望校が安全圏になり、更にはひとつ上のランクの学校も合格圏に入ったんです。

本っ当に嬉しかったですね!

努力が実る、報われるという経験をしました。

これが中2の冬休みくらいだったと思います。

成績がいい感じで上がったら、今度は内申点が気になり出したんです。

チョーコのいた地域では、高校受験において結構内申が占める割合が大きいと言われていましたので、勉強の成績が上がったことによって今度は

「内申を落とせない!」

と、とてもプレッシャーに思うようになりました。

今思うとこれも強迫観念だったと思います。

そしてそのプレッシャーに押しつぶされていきます。

せっかく入りたい高校があって、そこも入れる確率が上がっていたところでの不登校だったので悲しかったですね。

頑張りが無駄になったようでした。

結局受験が可能だった私立の2校のうちの1校を受験し合格したのですが、結果としては2日で行けなくなりました。

そして1年間休学し、翌年の2月に退学。

その年に夜間高校に再度入学したのですが、そこも3ヶ月で辞めてしまいました。

高校生の年齢なので、このあたりからアルバイトもしたのですがそれも数日、頑張っても数週間で辞めてしまいます。

 

「なんとか社会に出ないと」

「何かしないと」

「あたしは逃げてばかりなんじゃないか」

 

罪悪感と焦燥感に耐えられず、とにかく外に出ないとと動いてみるのですが、この頃はことごとく続けられませんでした。

今思うことこの行動がよくなかったと思います。

外に出られる状態じゃないのに罪悪感にかられ、闇雲に社会に出ても結局続けられないので挫折をするというのを繰り返し、どんどん「自分はダメな人間だ」と自己否定感を増幅させることになったと思います。

引きこもりからの脱出

2度目の高校退学をした後、かなり状態が悪くなります。

半ノイローゼ的というか。

親に対しての罪悪感が凄まじく、死にたいと思うようになりました。

リストカットを始めたのもこの頃です。

そして朝起きてから寝るまでの間中、常に自分を責め続けました。

責め続けながらも段々と、

「責めることで罪悪感を解消してるんじゃないか?」

と思えて、少しの安堵感も許しませんでした。

とにかく頭の中で自分を責め続けていました。

自分を感じることが嫌で、自分の声を聞きたくなくてしゃべりませんでした。

ふと窓に映った自分の姿を見た時、背中に悪寒が走りました。

とにかく自分を許せませんでした。

何も続けることが出来ない。

自分は逃げてばかりだ、と。

何度も何度も死にたいと思っていた頃、阪神大震災を経験しました。

朝方寝てるところに起こったものすごい揺れに、はじめは何が起きてるのかわかりませんでしたが、地震なんだと気づいた瞬間に思ったことは、

 

「死にたくない!」

 

でした。

 

あんなに毎日苦しくて辛くて、死にたい死にたいと思っていたのに、咄嗟に頭に浮かんだ言葉は「死にたくない」

 

本当は死にたくなかったんです。

 

この経験は大きかったです。

 

その後何かしないとと思い、震災から半年後に大検(大学入学資格検定)を取ることにしました。

3年かかって全科目を取得したのですが、中学で不登校になって以来初めて最後まで「やり切る」という経験をしました。

これは本当に大きかったと思います。

 

あともう一つ、大検を取り切った半年後くらいに兄弟が結婚してハワイで挙式をしたんですが、ハワイに行っていた5日ほど過食を我慢できたんです。

これもとても自信になりました。

 

そしてハワイから戻って1ヶ月後くらいにアルバイトを始めたんですが、このアルバイトが1年続いたんです!

これは本当に嬉しくて、これも大きな自信と転機になりました。

 

不登校から引きこもり】まとめ

今回昔を思い出しながら、自分苦しかったことを書いていて辛くなることもありました。

でも、思い返してみて思ったことは

 

自分を大事にする

ことの大切さと

自信

の大切さです。

引きこもりしていた頃、罪悪感と焦りから自分の状態を無視して外に出ることを繰り返したことでより自分を苦しめ、状態を悪化させていました。

もちろん今思い出しても、あの時感じていた罪悪感や不安感の中ではなかなか冷静に判断なんて出来なかったです。

いてもたってもいられないような気持ちでしたし、10代の子供です。

40代半ばになってやっと気づいたんですから。

 

今はやっぱり自分で自分のことを大切にすることの重要性を痛感してます。

人に大事にされたいと外に強く求めてきましたが、まずは自分が自分の気持ちに寄り添うことが不可欠なんだと思います。

ずっと自分に寄り添うことと自分を甘やかすことを同じだと思ってきました。

でも全然違います。

大切なのは自分の良い感情も悪い感情も

「受け入れる」

これは肯定することとは違うと思います。

ただ感じてることを受け入れるだけ。

これだけでも全然違うと思うんです。

悪い感情が浮かぶと否定してきましたが、否定されるって心が蝕まれていきます。

それが他人ではなく自分だったとしても。

 

自分が一番自分に近い存在です。

 

自分が自分のことを蔑ろにすることは、自分で自分を傷付けることです。

人から傷つけられることをこんなに恐れて生きてきたのに、実は自分が一番自分を傷つけることをしてきたんだと、気づきました。

 

今もまだまだ回復への道筋を探り探りですが、「気づけた」ことはなくてはならない大きな一歩だと思います。

 

今回も読んで頂きありがとうございましたー♪

 

 

不登校は中学生2年生から でも原因は何年も前からの積み重ね

不登校 登校拒否

皆さんこんにちは(^^)

超こじらせメンタルのチョーコです。

 

今回は不登校について書いていきます。

 

チョーコが不登校になったのは中学2年の3学期からです。

そこから21歳まで引きこもりのような生活をしていました。

なぜ不登校になったのか?

原因はおそらく複数あって、何年間かの積み重ねで最終的に学校に行けなくなったという感じです。

自分なりの分析ですが、何かを皆さんに伝えることができたら嬉しいです( ´艸`)

 

目次

 

不登校】「学校は絶対休んではいけないもの」と信じてた

 

冒頭にも書きましたがチョーコが学校に行けなくなったのは中学2年生の3学期です。

もっと細かく言うと3学期が始まって2日目です。

 

それまでのチョーコは学校は「絶対に行かなくてはいけないもの」と信じていました。

小学生の頃から学校が楽しいというタイプではなくて、どちらかというと行きたくない気持ちが強かったです。

でも学校というものは「行かなくてはいけないもの」、「ズル休みなんてしては行けない」と信じていました。

 

なので中1の時に生まれて初めて無視された時も、学校にはむちゃくちゃ行きたくなかったけど、休むという発想はありませんでした。

 

それなのに3学期2日目の朝、どうしても制服に着替えることができませんでした。

自分にとってはとても大きなことでした。

 

不登校】ある日突然、制服に着替えられない

未だにその時のことを覚えています。

その時に来ていたパジャマ、部屋の風景・・・。

 

「休みたいなぁ、、、」とか「行かないといけないけど行くの嫌だなぁ」という感じではなく、

 

行けない。

 

というか、ほんとに

 

「制服に着替えられない」

 

でした。

 

制服に着替えられず、ただただ家のリビングで泣いていました。

 

実は前日、学校に行きたくなくなるきっかけがありました。

 

始業式の日、3学期の各当番を決めることになりました。

はっきりとは覚えていませんが、みんな仲のいい友達同士で同じ当番になっていたような気がします。

チョーコにも同じクラスに普段一緒に過ごすような子がいたのですが、その子が別の子と組んだんです。

そのことがとてもショックでした。

はっきり仲間はずれにされたとか無視されるようになったとか、そういうのはなかったんですがなんだかとても激しく傷つきました。

 

そんなことで学校行けなくなったの?

 

と思いますか?

 

これはあくまでも「きっかけ」なんです。

 

さっきも書きましたが、学校に行けなくなるまでになったのは何年間もの積み重ねからでした。

 

中学に入ると同時にチョーコは引っ越しをしました。

小学校卒業まで住んでいた地域の近くだったんですが、中学校は全く知っている子がいない学校へ入学しました。

まだ学校創立から3年目の新設校だったので、クラスも一学年2クラスしかなくて全員知ってるような感じでした。

 

メンタルが崩れ始めたのは中学生になってからではないんです。

 

さらに遡ります。

 

不登校】恐怖心に耐え続けた1年間

チョーコのメンタルが目に見えておかしくなったのは小学校5年生の2学期からです。

 

話が飛びまくって申し訳ないのですが、小学校4年の時から話させてください。

 

4年生の時の担任は40代くらいの女の先生でとてもヒステリックな人でした。

毎朝忘れものや宿題のチェックをして、忘れ物があったり宿題をやってないと教室の後ろに忘れた子全員を立たせました。

男子はよく蹴られていました。

しょっちゅう怒っていて、チョークや教科書が飛んでくることも当たり前。

授業で当てられてすぐに答えられないと

プレッシャーをかけられます。

とても答えを考えていられる状態じゃなくなって、焦って答えて正解だった時の安堵感を今でも覚えています。

 

そういえば、チョーコも一度顔を思いっきりビンタされたことがありました。

なかなかすごい力でしたよ(;・∀・)

上と下がわからなくなって、一瞬「あたし、窓から落ちた?」って思いました。

これ、マジなんです(´∀`; )

 

とにかく毎日が強いストレスで、常にビクビクと委縮した状態でこの1年は過ごしていました。

チョーコ以外にも泣きながら学校に来る子や給食を吐いてしまう子もいたり、不登校になる子もいましたね。

 

そうそう、不登校になる子がいたと言えばその子が休んでる時にクラスのみんなに向かって担任が、

 

「○○ちゃんはお前らと違って心がキレイなんだよ!」

 

と言われたことがあります。

 

それを言われた時、愕然としました。

 

頑張って学校来てるのに、休んでる子の方がえらいんだ・・・

なんのために恐怖に耐えて学校に来てるんだろう

 

と、悲しくなったのを未だに覚えています。

 

昔はそういう先生、結構当たり前にいましたよねー(˘・з・˘)

 

そんな感じで1年間、毎日おびえながら学校生活を送っていたんですが、学校が終わって家に帰ると毎日のように近所の同い年の女の子と遊んでいました。

 

自分にとっては親友のような存在でした。

 

学校が終わればその子との時間があったから学校生活も耐えていられたと思います。

もちろん遊んでいて楽しかったのもありますが、先生の愚痴を言えていたのも良かったのかもしれません。

 

「こんなこと言われたー(怒)」

「こんなことされたー(泣)」

 

話を聞いてもらって、一緒に「ひどいなー」って言ってもらったことで、耐えれてたんだと思います。

ほんと吐き出すって大事ですよね(´ε` )

 

でもその子が5年生の夏休みに転校してしまいました。

おかしくなったのはそこからです。

 

急に人から嫌われるのがものすごく怖くなりました。

なんだか不安定な台の上に片足で立ってるような感じ。

 

友達と遊んでいても自分の意見を言えなくなってしまったんです。

 

「何して遊ぶー?」

 

と聞かれても

 

「なんでもいい。」

 

としか答えられませんでした。

 

自分の意見を言ったら嫌われるんじゃないかと怖かったんです。

それまでは人見知りではありましたが,嫌われたらどうしようとかは思ったりしなかったですし、どこかでたとえ嫌われても「〇〇ちゃんがいる」って思っていたのかもしれません。

無意識で心の拠り所になっていたのかもしれませんね。

 

でもその子が引っ越してからはしょっちゅう周りの子に謝ったり、「嫌いじゃない?」「怒ってない?」と確認するようになりました。

 

小学生の時は、こんな風になる前のチョーコのことを知ってくれている子も多かったので、めんどくさい行動をとっていも「大丈夫だよー。」と言ってくれていましたが、中学になるとそうはいきません。

 

「めんどくさい奴」

「暗い」

 

といった印象を持たれていたと思います。

 

小学校5年生以降かなり精神的に不安定になり、そのまま友達のひとりもいない学校への引っ越し。

また思春期という年齢や受験などもあり、4、5年かけて徐々に心が病んでいきました。

 

そして不登校になる半年前の中2の夏に強迫性障害の不潔恐怖が始まります。

母親いわくこの頃から「もしかしたら、、、」と思ったと後に言われました。

不登校の前兆のような。

 

後半へつづく・・・

 

不登校】前半のまとめ

なんだか振り返って書いていたら、結構長くなったので今回も2つに分けて書こうと思います。

 

後半もよかったら読んでくださいね♪

 

今回も読んで頂き、本当にありがとうございます( ^∀^)

【摂食障害】過食症(過食嘔吐)チョーコの体験談!

皆さんこんにちは(^^)

今回も摂食障害過食症過食嘔吐)について書いていきます。

今回は特に実体験について書きたいと思います。

いわゆる体験談的な。

初めに軽ーくチョーコのメンタル症状の経歴?書いときます。

 

 

おもだったものはこんな感じです。

症状に影響を与えてると思っているものに、

愛着障害

HSS型HSP

があると思ってます。

 

この2つに関しては病院での診断ではないのですが愛着障害はほぼあるっぽくて、HSS型HSPに関しては当てはまるもしくは「気味」じゃないかなという感じです。

(HSS型HSPのチェックテストでは当てはまりました)

 

と、前置きはここまでにしますね(^^)

かなりこじらせ人生のチョーコの体験談です。

 

目次

 

摂食障害】拒食症になりたかった

摂食障害の人はそもそもどのような経緯でなるのでしょうか?

痩せたい、食べたくないなどの気持ちがまずきっかけとなるのでしょうか?

 

チョーコの場合は、摂食障害になることが初めから目的でした。

もちろん、痩せたい!でも太りたくない!という思いは強くありました。

でもそれだけじゃなかったんです。

摂食障害という病名が欲しかったんです。

そして本当は拒食症に憧れていました。

摂食障害の症状として、拒食症はほんとうに一目でわかるほどガリガリに痩せてしまうのですが、過食症過食嘔吐の場合)は見た目的にはそれほど痩せていない場合もあります。

チョーコは10代、20代の頃は体重にもかなり固執していたので結構痩せていたみたいですが命に影響があるほどではなかったです。

(「みたい」と書いたのはあまり自覚はなかったので。友達いわくガリガリ通り越してカリカリやったよ、と後に言われました)

なので、一目で病的なほどに細い拒食症になりたかったんです。

チョーコにとってこの「病的」というのがひとつのキーワードです。

自己紹介の記事にも少し書きましたが、チョーコには生まれつきに重い病気の兄弟がいて物心ついたころから色んな人に心配という形で関心を持たれたり、優先してもらえる「病気」というものが羨ましかったです。

自分が風邪をひいて熱が出ても母親は兄弟の入院先に行ってしまう(親戚の人が看病に来てくれてました)、幼稚園の運動会に兄弟の手術日が重なって両親とも病院に行って、自分のところには来てくれない(命にかかわるのもだったのでもちろんしょうがないです)、兄弟と同時に具合が悪くなればどうしたって「ちょっと待ってて」と後回しになってしまう。

 

40半ばになってもその時のことを書いたり話したりすると、泣きそうになります。

 

どうしようもない状況ってありますよね。

好きで後回しにしてたわけじゃないかもしれません。

それでも4~5歳の子供がこの状況をさみしいとも感じなかったら逆におかしいような気がします。

なにかフォローがあったら違ったのでしょうか?

フォローがあったかどうかは覚えていません。

ただ悲しかったという思いだけが未だに消化されずに残っています。

そして良くなかったのが自分で自分に

「○○ちゃん(兄弟)だって好きでそんな身体に生まれたんじゃないんだから」と言い聞かせてたことです。

数えきれないほどこの言葉を自分に言い聞かせました。

やはり病気に憧れるなんて不謹慎だということは子供心にも思っていました。

命にかかわるくらいの病気だったので。

 

ほんとうならこの気持ちを否定せず、さらには親にもその気持ち自体は肯定してもらえていたらここまで引きずることはなかったのかもしれないと思います。

でもそう思えるようになったのは、ほんとに最近です。

幼いあたしは自分の気持ちを肯定することの重要性なんてわからないですし、親もそこまで余裕もなかったでしょう。

 

摂食障害】体重増加がどうしても耐えられなかった

体重に固執した要因に「自分は頑張っている」という免罪符にしてたところがあるように思います。

過食症になる数年前から不登校→引きこもりになったことで、常に自分を責めるようになりました。

「自分は逃げてるんじゃないか」

「怠けてるんじゃないか」

ずっとずーっと、とても強い罪悪感がありました。

自分はダメだという強力な自己否定感を体重を落とすという「結果」で「頑張っている」という実感に変えていたように思うんです。

体重は「数字」で結果がはっきり出るので、成果がわかりやすいんですよね。

 

過食+過剰運動や半身浴

過食症になり始めの頃はこれに併せて「過剰運動」もしていました。

そのおかげで50キロ台だった体重がスルスルと落ちていきました。

その後、過剰運動の代わりに半身浴をして汗をかくようになりました。

だいたい1~2時間くらい。

長い時では4時間ずっと半身浴してました。

半身浴はたぶん10年くらい続けていて、過食とセットだったので止めると太るんじゃないか、とここに強迫性障害の片鱗が出てきて半身浴が苦痛になっていきます。

 

27歳くらいまではほんとに過食するとき以外はカロリーを摂りたくなかったので、仕事するのもかなり苦痛でした。

朝食べず、昼は冷奴とかのローカロリーと自分が思えるものだけ。

どうしても我慢できない時は飴を舐めてごまかしてました。

あとは空腹紛らわすために毎日ダイエットコーラ飲んでましたね(笑)

甘味と炭酸で紛れるんです。

そして仕事が終わったら、家までの帰り道から過食をスタート。

とても家まで我慢できませんでした。

 

外に出ると過食が出来ないので常に「潜水」してる感じ。

潜水とは水泳の潜水のことです。

チョーコにとって

 

社会に出る=過食できる状態になるまでずっと息を止めて泳ぎ続ける

 

というイメージです。

 

なので外にいると常に強力な飢餓状態で、食べたくて食べたくて仕方ないのを必死でおさえつけていたので、 食べ始めると止まりません。

ほんと飢えてるという感じの食べ方でした。

 

28歳くらいの時が1番痩せのピークで、チョーコは身長が160センチくらいなんですが38キロくらいまで落ちました。

この時はほんっとに嬉しかったです。

念願の30キロ台!

見た目が細いから嬉しいというよりは、30キロ台は「病的」な痩せという感じがしたからです。

でもこの体重は一瞬でしたね。

元々痩せ体質ではないので、キープできたのは40キロ台前半まででした。

ただ30キロ台に入るか入らないかの頃は、それまでと比べてもものすごく体力が落ちました。

階段登るだけで立ち止まってしまうくらい疲れるし、バスに乗り遅れそうで数十メートル走っただけで動けなくなりました。

 

摂食障害過食症の現在のチョーコ

18歳から摂食障害過食症)になり40代半ばの現在も現役です。

今でも毎日過食したいですし、なにかしら出来ない状況でなければ過食してしまいます。

でも30代の頃から、過食しない状態でも食べることが出来るようになっていて、例えば人とご飯に行ったら普通にご飯を食べれます。

仕事場でもある程度の内容のご飯を食べれます。

ここまでくるのにも段階がありましたが、最近は昔に比べると1日の中で過食欲求がそこまで強くない時間もあります。

(20代までは朝起きてから夜寝るまで100%強い過食欲求が続いていたのが、今は50〜60%くらいでしょうか?)

そう考えると約30年の間にも良くはなってるのかもしれませんね。

自分自身はまだまだしんどい状況なので、良くなってるという感覚が薄いのですが。

そう考えると今回この記事を書いてよかったと思います(^ ^)

 

今回は100%チョーコの体験談でしたが、また自分のメンタル体験談やそれに関連する記事を書いてみようかなと思ってます。

 

今回も読んでくださりありがとうございました!

 

おやすみなさい。

【摂食障害】過食症の症状や原因は?一般的な情報とチョーコの経験談です

 

皆さんこんにちは(^^)

今日は摂食障害過食症について書いていきます。

 

初めに今回の記事では治療法とかは書きません!

チョーコは経験者ではあるけど、専門家ではないので(^^)

 

そして「摂食障害」「過食症」と一言で言っても、症状の原因も内容も人それぞれです。

なので一般的な解釈とチョーコの個人的な経験談として読んで頂けると幸いです(^^)

 

目次

 

摂食障害過食症と拒食症

まず初めに摂食障害は「過食症」と「拒食症」の2つに分類されることがほとんどです。

それぞれについて書いていきますね。

過食症

神経性過食症は、コントロール不能な過食行動と、体重増加を防ぐための嘔吐や下剤の使用が特徴です。過食は人前では行われないため、周囲に気づかれにくいことがあります。

引用 摂食障害:神経性やせ症(AN)と神経性過食症(BN) | e-ヘルスネット(厚生労働省)

拒食症

体重や体型に対する過度の恐怖と、体重減少に対する強迫的な追求が特徴です。患者は自分が過度にやせているにも関わらず、異常と認識できません。食事量を極端に制限することで体重を減らす患者がいる一方で、反動で過食が出現し、嘔吐や下剤の使用などで体重増加を防ぐ代償行動が見られることもあります。

引用 摂食障害:神経性やせ症(AN)と神経性過食症(BN) | e-ヘルスネット(厚生労働省)

 

それぞれ厚生労働省のサイトから抜粋してますが、もう少しわかりやすく説明しようと思います。

まず「過食症」は上記には嘔吐や下剤の使用が特徴とありますが、これらの代償行為をしないものも過食症に含まれます。

  • たくさん食べた後に吐いたり、下剤を使用する⇒神経性過食症
  • たくさん食べた後、吐いたり下剤を使わない⇒過食性障害

に分けられます。

身体への影響

過食症(神経性過食症)・・・電解質異常、唾液腺腫脹、歯牙侵食、吐きダコ

   *過食性障害の場合は肥満

拒食症・・・無月経、低血圧、徐脈、低体温、産毛密生、電解質異常、ホルモンバランスの低下、骨密度の低下

など、代表的な影響を挙げました。

もっと細かく知りたい方は厚生労働省のサイトを載せておきますので覗いてみて下さい。

www.e-healthnet.mhlw.go.jp

 

 チョーコは過食症ですけど一番痩せていた時は拒食症のところにある「産毛密生」がありましたね。

腕の体毛が特にフサフサしてました。

吐きダコも出来ましたねー。

でも今でも毎日過食嘔吐してるんですけど、いつからか吐きダコなくなりましたね(´・ω・)

なぜでしょう???

後は今思うとやはり一番大きな影響は無月経ですね。

10代後半から20代後半くらいまで結構低体重が続いてた時期は生理不順が当たり前で、3か月に1回とかMaxで9か月止まったことがありました。

当時は煩わしい生理が来ないことを困ったり嫌だとは思わなかったです。

チョーコは現在40代半ばなんですが、つい先日婦人科で閉経と診断されました。

閉経の平均的な年齢は50歳前後とのことなので、早めに閉経しちゃいましたね。

もちろんこれが摂食障害が原因とは言い切れませんが、若いころから身体に無理を強いてきてたし、婦人科の先生に摂食障害のこと言ったらなるほどーというリアクションでした。

摂食障害過食症の原因と言われてること

昔は摂食障害って行き過ぎたダイエットのように言われることもありましたよね。

今はダイエットの延長と言われることはあまりないのかなと思いますが、原因となると一般的にはどうなのでしょう?

 摂食障害の患者さんを心理学的・社会科学的に診ていくと、ある一定の性質が浮かび上がります。それは、人間関係の持ち方が脆弱ぜいじゃくでうまく対人コミュニケーションが取れない点です。その結果として、患者さんたちは人と密接な関係を築くことができません。人に心から信じてもらえないのだと自信がなくなってしまっています。

引用 摂食障害の背景には家族関係や体重への不安がある――摂食障害の患者さんが抱えるもの | メディカルノート

 

思春期の頃によくみられる考え方として、他人によく思われたいと感じる・感じたことがある方も多いでしょう。ただ行き過ぎた考えを持っていると、外見を整えることで他人からの価値が得られることを「自分が認められている」と捉えてしまいます。

その考えの背景には、幼少期の家庭環境も関係していると考えられています。家族に認められない経験をしたり愛情を受けて育てられなかったりすると、そのときに得られなかった感情を他人から受けることへ喜びを感じ、無理をしてでも体型を維持しようとしてしまうのです。

また過食症によくみられる背景として、食べることで寂しさを埋めようとする感情や、ストレス発散の一環として行われます。

摂食障害は、家庭環境のほか、社会環境・対人ストレス・人間関係なども大きく関係しているといわれています。他人からの何気ない一言を気にし過ぎてしまい、どうしようもない怒り・哀しみ・不安を食べることに視点をあて執着してしまうことで、摂食障害となって現れてくる場合が多いと考えられているのです。

引用 「摂食障害」を発症しやすい人の特徴・原因はご存知ですか?医師が監修! | メディカルドック

やはり総じて育つ環境に影響があるのではないかとチョーコは思ってます。

こう言うと摂食障害の子供さんを持たれている方には申し訳ないのですが・・・。

もちろん「絶対」ではないです。

解明されていないこともあるかもですし。

チョーコの場合は当てはまると思っていて、チョーコの両親はチョーコが物心ついた頃には仲が悪かったと思います。

ものすごい激しいケンカをするとかではないですが、会話は責めるような口調だったりが主だったし、両親が仲良くしてる場面は今まで見たことありません。

自分が大人になっても両親がきつい口調で会話してるのを聞くと不安で耳を塞ぎました。

⇒家族に安心感がありませんでした。

 

加えて病気の兄弟がいたので自分を優先してもらいづらかったりもあります。

⇒不足感が常にあります。

 

両親ともアダルトチルドレンですし、母親はどちらかというと愛情表現をしないタイプですし(愛情がないわけではないです)、父親は親になっても自分を評価して欲しい人でした。

(母のことも父のことも責めてるわけではないです。・・・責める気持ちが0ではないですが。他にも思うところはありまして)

 

恵まれてることもたくさんあります。

なので昔はそれを自分に言い聞かせてました。

「お母さんたちも一生懸命育ててくれてたんだから」

出産することだけでもものすごいことですし、何人もの家族をお金の不自由なく養うこともものすごいことです。

自分は未だにこんなんなのに、両親のことを責めるような気持ちを持つこと自体に責める気持ちが湧いてきます。

 

でも、自分を責めることはやめです。

 

お母さんたちが一生懸命だったことも事実。

 

あたしが安心感を得られず、常に不安な状態で育ってきたのも事実。

 

ただそれだけなんです。

 

 

摂食障害については期間が長い分、思うことも多いので今回は2記事に分けようと思います(^^)

 

良かったら続きも読んでくださいね♪

 

今日も読んでくれてありがとうございました(*'▽')

HSS型HSPは病気ではない 特徴や診断テストも載せておきます

HSS型HSPはかくれ繊細さん

目次

 

 

こんにちは(^^)チョーコです。

皆さん、突然ですがHSS型HSPって知ってますか?

HSPは数年前から知られるようになってきた「繊細さん」(Highly Sensitive Person‐ハイリー・センシティブ・パーソン‐)のことで、

「とても感受性強く、敏感な感性・気質」

を生まれながらに持つ人のことです。

このHSPのひとつにHSS型HSPというタイプがあります。

今日はこのHSS型HSPについて書こうと思います。

HSS型HSPはアクセルとブレーキを一緒に踏んでる状態

HSS型HSPをひと言で言うと、

感受性が強く敏感だけど、刺激を求める刺激探求型

HSPの中でもHSS型というのはHSPの「敏感」なのに「刺激を求める」面も併せ持っています。

敏感で傷つきやすいのに刺激を求めるって・・・。

これって矛盾してると思いませんか?

いわば「アクセルとブレーキを一緒に踏んでる状態

車だったらめちゃめちゃ負担ありますよね?

人も「矛盾」の状態がしょっちゅうあると結構しんどいです(-"-)

 

他にもHSS型HSPの説明として

  • 単調なのが苦手←むっちゃわかるっ!
  • 静かな環境を求める
  • 内向的
  • 刺激を求める気持ちと刺激を感じすぎる気質が常にぶつかり合う
  • 刺激を受けやすいのに刺激を求めずにはいられない
  • 人口の6%

などなど・・・。

チョーコの心に刺さったものを並べてみました(^^♪

 

HSS型HSPは別名「かくれ繊細さん」ともいいます。

 

この呼び方は好奇心が旺盛だったりして、ぱっと見ではHSPに見えないからかなーとチョーコは思ってます( ´з` )

 

次にHSS型HSPの特徴、「あるある」を挙げてみます。

HSS型HSPの特徴

  • 好奇心が強く刺激を求めるが、刺激がストレスになる
  • 発想力・行動力があるが、気になることがあると動けなくなる
  • 人と打ち解けるのが得意だが、交流に疲れる
  • 集中力があるが移り気
  • 端から見た印象と内面が異なることが多い

 

引用 からだにいいこと

 

このように相反する特徴があるのでHSS型の人はHSPには見えないような対応をしているのかもしれないですね。

そこが「かくれ繊細さん」言われる所以なのかも。

ここでは代表的な特徴を挙げましたが、HSS型HSP専門のカウンセリングをされている蒔田ひさ子さんのサイト【HSP/HSSLABO】では250個(!?)のあるあるが載ってるので興味がある方は見てみてください (笑)

引用 hsphsslabo.com

 

ちなみにチョーコの場合は「ちゃんと受け答えしなきゃ」思考が強いので、メンタルの症状を持ってるように見えないと言われることが何度もあったんですけど、これがHSS型HSPの特性なのか人に嫌われないための不安からきてるものなのかわかりませんが、、、。

不登校や引きこもりなどで人が出来ることが自分にはできないというレッテルを自分で貼って生きてきたので、人より劣ってると思っていて社会不適合なのを隠すために無理にちゃんとした対応を10代の頃からしてました。ずーっとそうしてたら偽らない自分がどういう人間なのか未だにわからないんです)

HSS型HSPは病気ではない

皆さんの中にはHSPのことを病気の一種だと思っている方もいるかも知れません。

HSPは病気、疾患ではなく「気質」「特性」を指します。

生まれ持った「感じ方」ですね。

ただHSPは気質に関してだけでなく音や臭い、光などに対しての「感覚」も含まれます。

ただ、この特性がメンタルの症状を引き起こす要因のひとつにはなるんじゃないのかなーとチョーコは勝手に思ってます。

アクセルとブレーキ一緒に踏んでたら車、早く壊れちゃいますやん( :3:)

 

HSS型HSPの診断テスト3選

ここでは3つほど、診断テストをまとめてます。

興味がある方はやってみてくださいね(^^)

引用 hsphsslabo.com

 

引用 cocoyowa.com

 

引用 kojirasesensaisan.com

 

 

HSS型HSPのまとめ

いかがでしたでしょうか?

今回の記事を読んで「腑に落ちた」という人もいるかも知れませんね。

この「腑に落ちる」ということがHSS型HSPには重要なんだそうです。

 

今まで自分が弱いからなんじゃないか?など、自分で自分を責めていたり否定していた部分がHSS型HSPの特性なんだと知ることで心が少し楽になったりする人が一人でもいてくれたらいいな、思います(^^)

 

今回も最後まで読んで頂き、ありがとうございました♪

【体験記】強迫性障害の原因や症状は?チョーコは不潔恐怖と確認行為

 

強迫性障害 

目次


強迫性障害

最近、メディアやネットニュースで何度か目にすることがありました。

芸能人の方が公表されてますよね。

俳優の佐藤二郎さんや元モーニング娘。道重さゆみさん。

このことで世間的な認知度も少し高まったかもしれません。

今回の記事では強迫性障害強迫症)についてチョーコの体験を混ぜながらして書いていきます。

*チョーコの体験談を元に書いています。

経験者ではありますが、専門家ではないのであくまで体験談としてお読み下さるようお願いしますm(_ _)m

 

強迫性障害の原因は?

強迫性障害になってしまう原因を本やネットで調べてみると、原因は

「未だわかっていない」

とされているものを目にすることが多いです。

それを目にした感想は、

「え?マジで?(´⊙ω⊙`)」

でした。

正直拍子抜けです。

結構昔からある症状ですし、メンタルの病気や症状に詳しくない人でも聞いたことのある人も多いと思いますし、認知度はありそうなのに未だに原因が解明されてないことに驚きました。

ただなりやすい傾向の性格として、真面目・几帳面・完璧主義などは挙げられています。

加えて最近は脳神経の機能の問題という見解も出てきています。

強迫症の原因はまだ解明されていないことも多いですが、脳神経の情報伝達に関係する物質の機能障害や、神経回路の異常などが関係していると言われています。

 引用 兵庫医科大学病院 もっとよく知る!病気ガイド

チョーコもどちらかというと真面目というか、「べき思考」ではあります。

柔軟性に欠けてますね。

それが元からの性格なのか親や周りからの刷り込みなのかはわかりませんが。

あとチョーコの場合は、とにかく「安心」が欲しいんです。

絶対的な安心が欲しい。

そんなものは無理と言われても欲しいんです!

これは自分の経験上たどり着いたことなんですが、強迫性障害の根底にあるものって「不安」だと思ってます。

 

強迫性障害の強迫行為は「儀式」

なので強迫行為(洗浄や確認)は、安心を得るための「おまじない」「儀式」なんではないかと。

例えばチョーコは元々排泄物に対して不潔恐怖が強く出ていたんですが、コロナ禍以降人の飛沫に対して強い嫌悪感や恐怖心が出るようになったんですね。

これは自分の身近に、普通よりコロナを気をつけないといけない人が何人かいてその人達に何かあってはいけないという気持ちが強くて、過剰にコロナを気にするようになったんです。

未だにマスクを外して接することができるのは、家族とパートナーだけで、外では極力マスクを外したくないので水分もどうしても我慢できない状態にならない限り摂りません。「口に入る」ものに対してものすごく神経質になっています。(2024年5月時点)

マスクが解禁になって一年、外に出るとマスクしてない人の方が多くなってるのでガッツリコロナ禍よりも正直、チョーコ的にはかなりしんどいです。

マスクしてない人が咳やくしゃみをしたら飛沫がついたらと気になりますし、人がしゃべってるだけでもしんどいです。

「だってテレビで会話する時は2メートル離れましょうって言ってたやん!」

と、いう具合です。

外出中は常にこの状態が続きます。

電車の中ではしょっちゅう席や車両を移動してます(笑)

もうここまでマスクしてない人が多いと、逃げ場がないんですが。

ただ最近ふと思ったんです。

飛沫の何に自分は恐怖を感じているんだろう、と。

元々はもちろんコロナのウイルスがいたらどうしようという不安、恐怖でした。

ただ最近はとにかく人の「飛沫」がイヤな気がしてます。

これはチョーコの勝手な分析(チョーコにとってだけ)なんですが、不潔恐怖の対象の排泄物にしても現在の恐怖対象の飛沫にしても「人から出たもの」なんですよね。

チョーコははっきり言ってコミュ障です。

人との関係の築き方が未だによくわかりません。

人と接するのがしんどいので社会生活が辛いです。

このお話もまたいつかしよっかな。

不登校になったのもここに原因があると思っています。

 

話を戻します。

つまりチョーコは人と接するのがかなり苦手なんですね。

人と接してる自分になんだか違和感のような不一致感があって、、、。

自分が社会に出ていてメンタルがやられることのほとんどが人との関わりの中にあります。

なので

人=自分を苦しめるもの

という構図が出来ていて、そこから排出されるもの(排泄物や飛沫)に対して嫌悪感や恐怖感を感じてしまうのではないかと。

 

結局は人に対する自分自身の思い込み、不安を解消しないとチョーコのメンタルの症状は消えないんだと自分では思ってます(間違ってるかもしれませんが)。

 

強迫性障害の主な症状

強迫性障害と一括りにいっても症状、強迫対象は色々です。

ここでは主な症状を挙げていきます。

 

不潔恐怖・洗浄行為

汚れや細菌汚染の恐怖から過剰に手洗い、入浴、洗濯をくりかえす、ドアノブや手すりなど不潔だと感じるものを恐れて、さわれない

確認行為

戸締まり、ガス栓、電気器具のスイッチを過剰に確認する(何度も確認する、じっと見張る、指差し確認する、手でさわって確認するなど)

加害恐怖

誰かに危害を加えたかもしれないという不安がこころを離れず、新聞やテレビに事件・事故として出ていないか確認したり、警察や周囲の人に確認したりする

儀式行為

自分の決めた手順でものごとを行わないと、恐ろしいことが起きるという不安から、どんなときも同じ方法で仕事や家事をしなくてはならない

物の対称性へのこだわり

物の配置に一定のこだわりがあり、必ずそうなっていないと不安になる

数字へのこだわり

不吉な数字・幸運な数字に、縁起をかつぐというレベルを超えてこだわる

引用 強迫性障害|こころの情報サイト

チョーコは生活に支障をきたすレベルなのは不潔恐怖と確認行為ですが、加害恐怖や数字へのこだわりもあります。

 

強迫性障害のチョーコ的まとめ

強迫性障害」と一言で言っても症状も色々あって、同じ症状でも人によって気になる対象が異なったりもします。

強迫性障害は頭ではこんなに恐れる必要はないとわかっていても、心は恐怖でいっぱいになるのでいてもたってもいられず強迫行為を行ってしまいます。

それらの言動で周りからは変な目で見られたりすることもあるし、批判的に捉えられたりもあります。

(最近チョーコは自分の安全、安心のために行ってることなのに、それによって傷つくなんてなんかちょっと違くない?と思うようになってます)

きっと経験者じゃない人は理解は難しいと思いますが理解できなくても、せめて否定はしないで頂けると少し気が楽な気がします^_^

【自己紹介】あたしの人生、摂食障害に強迫性障害に不登校とてんこもり!

ストレス

目次

 

初めての記事は自己紹介にしました。

どんな人間がこのブログをやっているのか?

知ってもらった方が読んでもらいやすいと思いまして^_^

10代半ばから始まった様々なメンタルの症状についてお話します。

強迫性障害の始まり

現在あたしは40代なんですが、1番初めに明らかにおかしいと思う行動を始めたのは中学2年生、14歳の夏です。

お風呂に入っていて手を洗うのをやめられなくなったり、家の中なのに自分が座るところをウェットティッシュで拭かないと座れなくなったり、トイレに行くのが苦痛になったり、、、。

あたしの強迫性障害の恐怖対象は「排泄物」なんです。

これは現在もです。

排泄物そのものにものすごい嫌悪感や恐怖感を感じるので、トイレに行くと便器に服がつかないようにものすごく神経を使うのでトイレに行く回数が減りました。

外でトイレに行くこともほとんどありませんでしたね。

そして外出時に辛かったのが、犬のフンです。

本当にきつくてひどい時は全然距離が離れているのに、目にしただけで洋服がついたんじゃないかととてつもなく不安になりました。

犬のフンに関しては30歳頃に再度ひどくなって、この頃は外に出ると常に地面を見ないと歩けなくなり、何か汚れがあるとこれは犬のフンなんじゃないかと気になってしまい、それを避けて歩くので気がおかしくなりそうでした。

地面なんて汚れやシミだらけですからね。

でも実は強迫性障害の症状の兆候は更に遡って、小学1年生の頃からあったんです。

それは家の戸締りが気になり、寝る前に家の色んな場所のカギが閉まっているかを確認するカギの「確認行為」。

病的とまではいかなくても、これも強迫行為(強迫観念によって生まれた不安を解消しようとして繰り返し行う行為)だったなと思います。

制服に着替えられなくなった不登校の始まり

中2の夏に強迫性障害の症状が現れてから半年後、中学2年生の3学期から不登校になりました。

初めて学校に行けなかった日のことは今でも覚えています。

とにかく制服に着替えることができませんでした。

その時着ていたパジャマや家の中の風景も覚えています。

学校に行きたくなくて、制服に着替えることが出来なくてずっと泣いていました。

不登校になり初めの頃は、特に月曜日に行けないことが多かったですね。

それでもなんとか火曜日からは保健室登校などもおり混ぜながら行っていたんですが、徐々に週1日休んでいたのが登校するのが週1日となり、中学3年生の1年間の出席日数は1年間トータルで30日ほどになっていきました。

高校受験は公立は受験することすら出来ませんでした。

私立も受験をOKしてもらえたのはたったの2校だけで、そのうちの1校を受験し合格しましたが入学後やはり通うことが出来なくなり、休学し翌年の2月に退学しました。

そこから21歳までは引きこもりに近い生活でした。

なんとかしなきゃともがいてアルバイトをしても数日、続いても1ヶ月もったかどうか、、、。

とにかく社会に出ることが出来ませんでした。

そんな自分を責め、親に対しては本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでものすごい罪悪感を感じ、死にたいと思いました。

死にたいと何度も思いました。

リストカットを始めたのもこの頃です。

自分を感じることに嫌悪感を感じ声も出したくない。

ふと窓ガラスに映った自分を見た瞬間、背筋に悪寒が走りました。

でもたぶん、ほんとに死にたいわけじゃなかったのかもしれません。

とにかく辛くて、その言葉でしか吐き出せなかったんだと今は思っています。

14歳から21歳までの引きこもり期の最中である18歳の時に、摂食障害過食嘔吐)が始まります。

 

摂食障害に憧れて

摂食障害には自分で望んでなりました。

そういう人は珍しいでしょうか?

少し話が逸れますが、あたしには生まれつき病気を持った兄弟がいます。

あたしが物心のついた頃からあたしにとって「病気」は人から関心を持ってもらえる特別な「イイモノ」だったんです。

不謹慎なことを言っているとわかっています。

不謹慎だとわかっているので子供の頃からそう思うたびに「〇〇ちゃんだって好きでそんな身体に生まれてきたわけじゃないんだから」と何十回、何百回と自分に言い聞かせてきました。

でも今思うと子供が自分を見て欲しい、関心を持って欲しい、優先して欲しいと思うのは当たり前のことですよね。

子供じゃなくたってそんな気持ちにはなります。

なので、今はそんな風に思わなくても良かったのにと小さい頃のあたしが可哀想になったりもします。

 

話を元に戻しますね。

そういう環境にあったのであたしは病気に対して憧れがありました。

でもあたしはどちらかというと健康優良児。

とってもいいことなんですけどね。

このベースの考えに加えて、摂食障害になる少し前に中学の同級生で拒食症になった子がいました。

元々はどちらかというとポッチャリさんだったその子が病的なほど痩せていました。

そのことを他の同級生の子達が話題にしてるのを聞いた時、とても羨ましかったんです。

「自分も注目を浴びたい!みんなに心配されたい!」

そこから強く摂食障害に興味を持つようになったように思います。

なんとか食べないようにと試みましたが、不安が強く愛情飢餓のあたしは食べることで安心感と満足感を得ていたので、食べることを止めることができません。

なのでたくさん食べてしまったものを吐こうと口に指を突っ込んでみましたが、なかなか上手く吐けません。

そんなことを何度か繰り返していたある日、偶然吐くことが出来ました。

ほんとに嬉しかったです。

日記に書いたほどでした。

そこからあたしの約30年続く摂食障害の日常が始まりました。